# 杜野凛世と薄紫色の夏

この記事は2020年8月11日よりアイドルマスターシャイニーカラーズに実装された新pSSR【われにかへれ】に関する妄言です。

# 湧き上がる親愛の赤

夏。焦がれた人間と共にバスに乗って少し離れた目的地へ向かい、一緒にかき氷を食べては、宿に泊まって土産を物色し、そういった出来事の記録を残していく。そして名残惜しさと共に帰りのバスに乗って日常に帰っていく。杜野凛世はそのようなひとときを過ごし、思い出を蓄え(ゲーム性能準拠の解説)、そして新たな日々を迎える。

【われにかへれ】は、G.R.A.D.編を経て、凛世がついにその想いを内に秘め続けるだけでなく、明かし、伝えることを許されたことを実感させてくれる。

【われにかへれ】第2コミュ『むらさき』より

ふたりきりでかき氷を食べて笑い合う。たったそれだけのことに思えても、それが出来るようになるまで大変な道のりがあった。G.R.A.D.ではやや比喩的に示唆されるだけに終わった「お互いの言いたいことを伝え合おう」というメッセージを、改めて受け取ることも出来た。非常に大きな収穫だと言えよう。いじましくブレた写真を撮る凛世も、舌を紫色にするチャンスを逃した凛世も、拗ねて部屋にこもってしまう凛世も、そしてなにより静寂の中で柔らかい光を纏い佇む凛世もその美しさも、すべてが強くきらめき輝いていて、その澄んだ振る舞いとのギャップにやられ、目を離せなくなってしまうのだ。

# 頑なに冷静な青

嘘ではない。杜野凛世の放つ流麗な雰囲気が僕は大好きだ。ところが、【われにかへれ】ではより洗練された杜野凛世の魅力以上に、彼女の眼前に広がる決して埋まらない溝のあまりの深さに目が向いてしまう。

6月末のシナリオイベント『天塵』において、樋口円香が自分たちアイドルのことを「商品」だとプロデューサーに対して自虐する一幕があったが、最終的にプロデューサーは苦労して掴み取ってきた営業案件を通してノクチルのメンバーに「アイドルをする理由」を問いかけることにより、その自虐を否定し、自分たちの道を選ぶ自由(と、必要性)を伝えている。では、杜野凛世にとって、その「理由」とは何だろうか?

もちろん「プロデューサーさま」だけのためではない、というのはW.I.N.G.編をはじめこれまでの杜野凛世の軌跡を辿ればそれは伝わってくる。むしろ、様々な出会いを通じ、あやふやだった彼女のアイドルへの自意識は確立されていき、今では誰かへの好意も、アイドルのモチベーションも、それらによって変化してきた自分を取り巻く環境への意識にも、それぞれが独立した要素となって今の杜野凛世を構成されているのだと、そう思える。

一方で、当の「プロデューサーさま」は彼女の好意を知ってか知らずか、絶対に目線を合わせようとしない。放課後クライマックスガールズに対してはもちろん、他のアイドルユニットに対しても同じように、純粋にアイドルとしての技術に悩む時の杜野凛世本人に対してでも発揮されるあの異常なまでの熱量と共感性は、杜野凛世が一個人としての好意を向けているときには一切発揮されない。いじましくも彼の写真を撮ろうとする凛世にも、赤と青を合わせて紫のかき氷を作りたがる凛世にも、思い出を共有すべく土産物を贈ろうとする凛世にも、「自分はアイドル杜野凛世にふさわしい存在でないから」の一言で全てを切り捨てる。赤と青は交わらない。

杜野凛世G.R.A.D編『he』より

G.R.A.D.編でこんなことを仰っておきながら、結局、怒らせて同じようなことを繰り返す(こう思った次の瞬間から完璧に出来るようになったらそれはそれで恐ろしいので若干無理筋の貶し方になっているが……)。彼の目に映っているのは、果たして「商品」で無いなどと言うことが出来るのだろうか?(なお、アイドルとプロデューサーの恋愛など、考えるまでもなく芸能人生命、下手すれば社会生命を終わらせかねないスキャンダルであることは明白なため、一貫して誤解されない態度を取っているという点に対しては真摯さを評価すべきである)

いつか、杜野凛世をより深く理解し、アイドルとしての彼女が抱える矛盾を解決に導き、本当の笑顔を引き出してくれる。そんな人間が彼女の前に表れることを、期待していた。ところが、【われにかへれ】のTrue End『われにかへる』を見てみれば、最早そのような願望はただの自己満足でしか無いことを思い知らされる。彼女に必要なのは、少女漫画のような恋でも、彼女の姉のような家の慣習に則った契りでもなく、それらを知った上でなお目の前の相手に振り回される確かな愛なのだと。その結果がどうであろうとそれそのものはきっと大した問題ではない。いちばん最初にかけちがってしまった認識のボタンのずれ。これを直すのに立ちはだかるアイドルという枷。彼女がいつか自分でこれらを蹴散らして進むことが出来るというのなら、僕はそれを信じて今日もアイドルに祈りを捧げる。

# おわり

【われにかへれ】思い出アピール演出より

例にもれず、僕もこの溌剌な笑顔にうっかり刺されてしまったクチではあるが、この笑顔を彼女に望んでしまうこと自体が、「本当の彼女」などという幻影を追っていることの証明なのかもしれない。あと空気感台無しにすること言うんですが僕昔からの付き合いでお互いを理解しているが最近現れた変化を把握しきれていない相棒関係とか性別関係なく大好きなので僕が凛世に抱いている愛おしさの元はこれかもしれない。


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