# 芹沢あさひと星の引力
らん らりぱ らりぱ ぱりるれらろ らん らりぱ らりぱ ぱりるれらろ ぱぱぱぴぱ ららりぱ
# 重力
誰かと誰かが完全に分かりあうなんて出来ない、その上でお互いがお互いらしくあるための交点を探っていくことの美しさや、その一点がてんで見つからずに自縄自縛に苦しむアイドル(ほぼ名指しになっている気がする)を描いてきたアイドルマスターシャイニーカラーズの登場人物の話をする時に、よりによってキャラソン(これキャラソンって言っていいの? 誰か教えてほしい)を聞けばその子のことが理解できる、などと言うのは思い上がりも甚だしいが、かと言って端から諦めてしまうのもそれはただの怠惰でしかない。本当に相手のことを理解したのかという客観的な結果を知る術はどこにもないが、主観的な相手の見方を変えていくことなら出来る。こちらが相手を見る目線と、同じように相手から返ってくる目線が奇跡的に噛み合う、そんな未来を目指して。
芹沢あさひはその意味でもやはり不思議な、と形容せざるを得ないような子である。自分の趣向は周囲との溝を生むものだと理解しつつも、それを最優先に行動を選び、しかし溝が広がることを意に介さないかと言うとそういうことでもなく、人との繋がりを否定するどころか、繋がりが増えていくことに喜びを見出している。
その突拍子のなさ、一貫性の乏しさは幼さか、生来の性格か、環境が作ったものか。その根源を求めるには僕は芹沢あさひを知らなさすぎるが、今の話をすることは出来る。こういった印象から、安直に感想を述べる時、主に2つに分けられる。
子供らしく、アイデンティティが確立されておらず人間くさい
何を考えているのか読めず、人間離れしている
簡潔に分けるならばこれらに収束する。つまり、なにもわからないということでもある。そもそも登場人物の繊細な心の動きを表現し、現実を生きる人間にも共感できるような実在性を作り出すシャニマスの世界観において、作中概念から見ても常識を逸脱した言行をしばしば見せるあさひはその実在性に疑問が生まれるのもまた必然である。それが彼女たち、実在と非実在を行き来するカリスマ的アイドルユニット・ストレイライトなのだから。
問題はここからである。彼女が実在と非実在を行き来するのであれば、本来彼女がいたのは、いるべきなのはどちらなのか? 非凡な才能を見せつつも年相応の女の子である芹沢あさひと、類まれなる感性と天賦の才で見る者を圧倒する芹沢あさひ、最初に生まれたのは、どちらのあさひだったのだろうか? むろん、どちらかの存在だけを真だと決め付けるものではないということは奇しくも同ユニットのライバル(ここではこう表現する)である黛冬優子が教えてくれている。
ただ、冬優子と愛依もまたあさひのように、そしてそれぞれ違った二面性を有しているが、その非実在性はあさひとは少し話が違ってくる。彼女たちの非実在性はこちらの世界で生きるために意識的に作り出されたペルソナであり、やもすれば非実在性の方が正面に見えかねないあさひの二面性とはやや方向性が違う。だから、どちらのあさひが「本物」であるかは考慮するに値しないことかもしれないが、その成り立ちについては考える余地が生まれる。なぜなら、もし「人間離れしたあさひ」が最初に生まれたあさひだったのならば、彼女はこの先、冬優子や愛依のような実在性の隠匿シンギュラリティ(衣装名言いたかっただけ)が出来なければ、人間という重力に絡め取られることになってしまうからだ。
# 星をめざして
THE IDOLM@STER SHINY COLORS COLORFUL FE@THERS -Stella- に収録された『星をめざして』はポップなリズムとともに圧巻の中毒性を誇るあさひのらりぱを耳に刻みつけながら彼女の無垢で壮大な夢を朗らかに教えてくれる、元気をくれる曲である。悲しいことに音楽関係の知識は皆無なのでこの楽曲に正しい評価を下すことも、メロディーやリズムに込められた意味を解釈することも僕には不可能だが、その変わりに出来る限り歌詞を読んでいくことにしよう。と思って引用しようと思ったが、世の中にはジャスラックとかいう団体が存在することを思い出して軽く調べてみたらすっげーややこしいこと書いてあってウッソだろオイ。
まず全体を通して目につくのは『星になれたならいいのに』という言葉である。タイトルが『星をめざして』なのだから当然とも言えるが、『いつの日か必ずたどり着くぞ』とまで言っているので、つまり、芹沢あさひの目標のひとつに『【星】になる』というのがあるのだと言っているように見える。
ここで、【星】とはなにか。のっけから『見上げた宇宙』と言っているので、物理的に天体のことを指しているのかもしれないし、『誰かの気持ちも動かせる』『たくさんの誰かを幸せにしたいなと思うから』と言っているので、自分がそうだったように、誰かにとっての輝くドキドキになりたいのかもしれない。
宇宙に想いを馳せ、誰かにとっての憧れになりたい。それはとてもキラキラした前向きな願いで、応援したくなるほど(僕は芹沢あさひがやることなら例えどんなことであっても応援できる人間でありたいが)純粋で可愛らしく、人間らしい。
その一方で、彼女は『思いのままにわがままに突き進んでみたいから』とも言っている。あさひらしい、限界を勝手に作らず、止められない探究心溢れる良い歌だが、ここで見てみたいのはあさひはこれをわがままなことだと理解しているということだ。これは新事実というわけではなく既に様々なコミュで示されてきたが、それでいてその上で自分の「わがまま」が優先事項であることを再度伝えてくれる。そして、ここにまたあさひの実在性の衝突が発生する。
「わがまま」を通して「誰かを幸せにしたい」という願いが叶えられる場面は、人間の社会においてかなり少ない。その数少ないひとつにアイドルがある。あさひが突き進めば突き進むほど、その輝きの粒子は周囲に振りまかれ、それは『キラキラと瞬くヒカリ』となってたくさんの誰かに幸せをもたらす。だから、アイドル芹沢あさひが存在している間は僕たちは共存できる。しかし、知っての通り芹沢あさひはアイドル(ひいては芸能界)を生涯の居場所として定めたわけではない。そうなって彼女のわがままと誰かの幸せが両立できなくなった時、彼女は果たしてどちらを選択するのだろうか。
芹沢あさひにとって本当に一番に選ぶべき選択肢は何なのか。その選択が成された時に彼女とまだ共存を選ぶことが出来るのか。もし出来なかったのならば、彼女はどこへゆくのか。もし芹沢あさひが「人間らしくない」選択をした時、僕はそれを引き止めるべきなのだろうか。地上の重力に見切りをつけ、星の引力に惹かれて飛び立つ彼女を、笑って見送ることは出来るだろうか。
# The Straylight
前項はあさひの独特の馴染めなさが生来の本質的なものである、という前提に基づいて書かれている。ただし、前々項で述べたように誰かの本質などは他者が簡単に分かった気になっていいようなものではない。そしてその答えを知りたければ、鍵になるのはやはりストレイライトのふたりだ。
28日に突如発表された新イベント『The Straylight』はもうこれ以上無いくらい単刀直入にストレイライトの話をすることを教えてくれている。『Straylight.run()』ではストレイライトは始動しただけ、『WorldEnd:BreakDown』は実質的に内輪もめから再結成する話だったので、ファン感謝祭編以来のユニットとしての三人がフィーチャーされることが予想される。「ゴールデンタイムの地上波音楽番組、実力派アーティストばかりが出演」ということなので、作中で求められるハードルも過去最大級に高い。彼女たちはユニットメンバーであると同時に最大のライバルで、切磋琢磨を是とし競い合ってきたが、おそらくはここで作中初めて真の意味で手を組む必要性に駆られるようになっているのだと思う。
芹沢あさひはここで様々な壁に突き当たるだろう。パフォーマンスの完成度を求めるあまり先走り、ユニットの足並みを崩すかもしれない。持ち前の感性が仇となって、ユニットとしての統一感を落としてしまうかもしれない。なんならもっと直接的に喧嘩に発展するかもしれないし、相変わらずあさひの眼鏡にかなうようなキラキラは現れず、周囲との軋轢を生んでしまうかもしれない。もしかすると、ついにあさひの才覚を持ってしても太刀打ちできないような世界が垣間見えて、W.I.N.G.敗北時のようにただの興味だけでなく、意地と根性で立ち上がるあさひをもう一度見せてくれるかもしれない。
どのような試練が三人の前に現れ、そしてその結果どうなるのかはわからないが、今度こそ三人は真に力を合わせ、ストレイライトというユニットに勝利の栄光をもたらしてくれるだろう。そうやって生まれ、育んできた繋がりこそが芹沢あさひを地上に繋ぎ止める鍵となる。
芹沢あさひが地上に残るか、星をめざして飛び去っていくか。それを選ぶのはいつの日か決心した彼女自身にほかならないが、その日が訪れるまで、彼女の前にたくさんのキラキラと、多くの仲間達が現れることを願う。
# メイドあさひ
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あさひのカラーリングにクラシカルメイドはもう映える映える。ちょこまかと元気よく動き回る彼女は屋敷に住まう妖精(どうしも某屋敷しもべ妖精がチラつく表現で我ながらボキャブラリーの無さが悲しい)のように、空間にやすらぎと清涼感を与えてくれるだろう。
一方で、自由の象徴とも思えるほどの活発な少女に給仕者の衣装を着せるのは美しい小鳥を籠に閉じ込めるがごとくの利己的で傲慢な行為であるとも思えてくる。もし、屋敷の主人があさひを背後に控えさせ、あまつさえ傅かせることがあれば僕はきっとそれを許さないだろう。僕にとって自由と挑戦を象徴する憧れの信仰である彼女の翼をもぐような行為があれば、地の果てまで追いすがってでもそれをやめさせなければならない。だってずるいじゃん(本音)
# おわり
イベント開始までに間に合わせないと下手したら全部的外れの妄言(これは最初から)になってしまう危険性があったので慌てて書きました