# シャニマス5thライブIf I_wings Day1を思う

この記事は2023年3月18日に代々木国立競技場第一体育館で開催されたアイドルマスターシャイニーカラーズ5thライブ「If I_wings Day1」への個人的な思いを整理するだけの日記です 愚痴ではない……はず

こういうライブの感想って普通アーカイブが見れるうちに書くべきでは? だってアーカイブ期間中はアーカイブ見るのに忙しいから……

# Day1が巻き起こしたもの

If I_wings Day1はそれはもう凄かった。わざわざ私のツイート以外にリンクがないこのwebページにアクセスしてくれている人がいるなら言わなくても知っていると思うが、一時期は「新曲発表会」とさえ揶揄された(この現象自体に賛否はあろうが、今は単純に「シンプル」ぐらいの意味合いで使っている)シャニマスの周年ライブとしては異例とさえ言っていい、過去曲混じりのセトリ、短めのMC、そして挑戦的な演出。全てが強烈で、見るものに色んな印象を刻みつけたと思う。

その中でも一番強く賛否を呼んだ(ことに私の中でなっている)のがその演出の数々で、端的に言ってしまえば「283プロが解散するif」を描いたライブであったことが、大きな話題となった。

公式ツイッターなどで匂わせをしていたとはいえ、まさに青天の霹靂というようなそのいきなりの演出に、会場も、配信視聴者も、困惑が大きかったと思う。言うて最初のMCのあたりから多くの人たちは今回のライブがどういうコンセプトなのかを朧気にでも理解していたと思うが、結局それらの明言はされず、告知も無いままに演者たちが一組ずつ去っていく刺激的な曲とともにDay1は終了した。

このライブを見た時、私の中でもやはり困惑が無かったと言えば嘘になる。色々とぎゃあぎゃあ騒ぎ立ててしまって不快な思いをさせてしまった方々には申し訳ないと思っているが、その内容を整理すると概ね二点に集約される。

  • 演出がショッキングで心臓に悪い
  • 両日前提の演出過ぎて片日民が悲しい

本記事は、これらの私の感情に整理をつけるための覚書であり、ライブの感想や評価点を語る場ではない……ということになるはず。

# この感情は正しかったのか

まあもちろん挑戦的なことだけは確実なので多少は刺激もあるのは間違いないが、ショッキングでグロテスクなものだったかと言われると、今はきちんとノーと言えると思う。

# ショッキングなのか

大前提として、今回のイベントは「ライブ」である。音楽を中心に組み立てられた数時間を通して、何かを伝える、表現する場である。普段ゲーム内で展開されているシナリオイベントではない。そのため、言葉による明確な説明が無かったとしても、それをどう受け取るかは聞き手である我々に委ねられる。ので、曲の合間に挟まれた朗読や演者挨拶にどのような意味があったのかは、どこかに正解があるわけではなく、各々が程よい納得をしていかなければならない。

それを考えたときに、Day1の演出が「説明不足」であったかと言われると、そうとは言い切れない。物語(コミュ)の一環として見たときにあの演出は明らかに言葉足らずで、何故ならそれは解散に至るまでの道筋や理由、原因といった「過程」がオミットされているからである。しかし、前述の通りこれはライブであり、200分前後という限られた時間の中でそれらを綿密に説明する時間はどう考えても無い。であれば、逆にそういった過程を見るのではなく、ライブの時間に見るべきは目の前で起きている現象である。

これまでの集大成を見せるかのようなセトリを携えて、それぞれの終わりに臨む覚悟を見せながら今までになかった演出で表現されたその世界は、少なくとも直接味わわなければもったいないものではあった。

Day1のオーコメいわく、Day1のシーズのコンセプトは「イベントやメインシナリオでの互いの歩み寄りが起きなかったif」だそうで、実際にダンス中もふたりで目を合わせることをしなかったとか。それは現地で見たあの瞬間に全てを感じることは難しいかもしれないが、確かにひとつのコンセプトのもとにあのステージは作られていたのだ。一方で、アルストの朗読やノクチルの制服ライブを見ていると別に歩み寄りが無かったわけではないように思うので、それぞれのユニットの中で多分「終わる場合のif」というコンセプトがあるのだと伺える。それはある意味で作っている側も「どんなifなのか」を統一していないことでもあると言えるかもしれないが、少なくとも改めてもう一度見た限りでは「彼女たちが今終わりを選択するのなら」という仮定からの派生だということは何となく理解できる。

それらを考えたうえで、この演出は悲しいものだったのか? という話をするならば、(当然人による、という前提は存在するが)そういうわけではない、という感想になる。あの場で表現したかったものは終わりが訪れる悲しさではなく、現時点での集大成を表現する覚悟とその輝きであって、そこに理由や過程を求める必要はない。Day1は、決してDay2の引き立てるための前座でも無意味に悲しみを振りまく悲劇でもなく、いつか訪れるその瞬間が、前を向いて迎えられるものだと見せたかったのだと、思う……多分……

# 両日前提なのか

前項で概ねのことは書いたが、それが真である場合、Day1はDay1の中で完結していることになる。終わるということは続きが無いということなので当然告知は無いし、Day2に向けての前座でもないのでDay2を見るにあたってDay1を見ている必要もない(見るとより楽しめる、という話とはまた別)。

来場者特典のメッセージカードなどを見るに、同じメッセージなのにその背景を見ることで受け取り方が変わるという見せ方をしたがっているように見えるし、実際に製作者コメントでアスファルト鳴らしての直前朗読はそういう面も意識していたらしいので、二日間で全く別のものを見せようとしていたであろうことは想像できる。

それでも見た当時は最初に書いたように「Day1だけで完結していない」と思ったのは演出を読み取れていなかったのもあるが、「情報不足」に尽きる。これはライブという表現としての不足ではなく、その場で我々が得られた情報量が衝撃を受け止めるにはあまり多くなかったのだろう。私自身、一週間ずっとインターネットでわめいて、アーカイブを見直して制作側のコメントを読んでようやく納得した人間なのでデカいことは言えないが、(冷静に考えればそんなことありえなくても)シャニマスは本当に何かを終わらせようとしているのかもしれない、その不安が拭い去れないうちは納得よりも先に怒りや悲しみが現れやすいのかもしれない。

それはそれとして、Day1は多分、これまでのシャニマスは一旦完結したと思ってください! という意味合いも無くはないとちょっと思っている。コンテンツ的に新展開があるとかそういう話ではなく、ただのifとしてだけでなく、それまでに積み重ねてきたものは確かにあるんだと実感して欲しい、そういう意味合いを感じ取った……つもりである。

# それはそれとして

ここからは若干愚痴っぽくなる。荒れはしないつもりだが

振り返ってみればDay1は本当に完成度の高い表現だったと今では思えるが、前述の通り現地で見たその瞬間の感情はそれどころではなかった。それはやはり衝撃を受け止められなかったというところに尽きるのだが、そもそも一部の演出も良くない。冒頭の社長とはづきさんの会話とか、典型的な終焉を惜しむ会話だし、極めつけはライブ一週間前に公開されたPVである。

「アイドルが消えていく」映像を見せられたらそらネガティブなものを想像したくもなる。開発側コメントで提示された「アイドルがアイドルを選んでいるということは本当に奇跡的なこと」みたいなコメントも含めて、ちょっと必要以上に過剰に演出しないと伝わらない、と思われたのか? みたいな印象も無いわけではない。……「ユーザーに幅広く伝わるライン」なんてものが完璧にわかるならそのコンテンツはまさに無敵なので、仮にそういう意図があってすれ違いがあったのだとしても責める気にはなれないが……。

あと両日見なくても良いけど両日見たほうが良いんだから通し券用意しろとかキャパどうにかしろとかキービジュ差分の事後物販やめろとか細かい文句は色々とあるが、最速アーカイブを実施したりといった本当に評価したい取り組みもあったのは確かなので、良かったことと悪かったことは冷静に分けて話が出来るようになっていきたい。

# おわり

みんなに迷惑をかけまくって申し訳ありませんが一週間ずっとライブのこと考えてたので結構いい思い出だと思ってます! 見捨てないで


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