# 芹沢あさひと僕(プロデューサー)

この記事は2020年7月10日よりアイドルマスターシャイニーカラーズで実装された新シナリオGRAD芹沢あさひ編に関する妄言です。

# 誤解

# 幻想

芹沢あさひが僕たちの前に現れてから幾多の出来事があった。一緒にWINGに優勝したこともあった。敗北し、逆襲を誓いあったことも(タイムパラドックスか?)あった。ストレイライトというユニットが生まれ、研磨され、繋がり、纏まり、ぶつかり合って進んできた。芹沢あさひは、どんな時も持ち前の探究心と集中力で目の前の問題に立ち向かい、時にはつまづきながらも、着実に前進し、アイドルとしての輝きを振りまいてきた。

さて、そんな1年が過ぎて、おぼろげだった芹沢あさひの輪郭ははっきりとした線となり、掴みどころのない独特の感性を持った彼女のことを少しは理解することが出来た。芹沢あさひは天性のセンスを持つ飛び抜けた存在で、彼女が踊れば場の空気が締まり、彼女が笑えば一帯に光が満ちる。そんな超越した力を持つ彼女のやりたいように、意のままに進めるように露払いを買って出るのが周囲の役目。……本当にそうだろうか? 我々は、芹沢あさひのことを手の届かない天才だと決めつけるべきなのだろうか? 彼女が見ている世界は他の誰にも見ることが出来ず、彼女の望む世界には誰一人立つことが出来ないのだろうか? 彼女に希望を見ることと、自分の願望を押し付けることを混同したことは無かっただろうか? 我々は、そこにいた芹沢あさひをきちんと見ていたのだろうか?

# 輪郭

芹沢あさひ個人のパフォーマンス能力は非常に優れているらしく、より程度の高い戦いになるであろうGRADを想定したレッスンにおいても、パフォーマンスそのものに疑問を呈された描写もなく、またあさひ本人にも油断をしている様子はない。『WorldEnd:BreakDown』で辛酸を嘗めた経験は着実に彼女を成長させている。そこに見えているのは、ストイックで、真摯な、「強いアイドル」芹沢あさひである。我々が期待していた、明るくて不思議でよく笑い、一度ステージに上がれば別の顔を見せ、痺れるようなパフォーマンスで周囲を圧倒する。我々が見ていたのは、そんな芹沢あさひだった。

だが、僕たちは知っているはずだ。その尖った感性を時に充分すぎるほど発揮し、時には持て余し、溢れる好奇心を盾に他人の心に踏み込み、他人よりも自分の理性に従い場を荒らす。そんな持って生まれた自らの個に振り回されることもあった芹沢あさひの姿を。彼女は、きっとまだ、完成された、安定した存在ではない。日を追うごとに形を変え色を変え、常に新しい光を振りまき、その分だけ嵐を起こす。だからこそ、僕たちは色眼鏡を掛けるわけにはいかない。今その時彼女が放つ輝きから、目をそらすわけにはいかないのだ。

そして彼女は、蕎麦屋に弟子入すると言い出した。「出前っす!」と。

# 和解

# 誤謬

芹沢あさひは「ありがとう」も「ごめんなさい」も言える。

『アイドル同士の会話』(樹里→あさひ)より
イベント『Straylight.run()』エンディング『WE WILL』より
少なくとも彼女は自身なりの倫理観と対人感覚を持ち合わせており、ファン感謝祭編シナリオでの顛末から、不義理を働いたとき相手にかかる迷惑のことも意識をするようになったはずだ。だから大丈夫。油断だってしてないし、準備は万全。後は日々を楽しんで過ごすのみ。芹沢あさひは、そのように思っていたかもしれない。彼女は、未来を想像して感情を動かしたり、行動を変えることをあまりしない。今そこにあるものを見て、その中で自分が最も興味を持ったものに対して突き進んでいく。そういった過ごし方を好み、時にそれで周囲を振り回すことがあっても、だからこそのエネルギッシュな勢いが彼女にはある。

ところが、『大人たち』はそんな芹沢あさひを刹那的だと言う。アイドルとして大きな舞台を控えているのなら、全力を尽くすべきだと。真摯に取り組めと。しかし、あさひからすればそれは順序が逆である。世の中にはたくさんの出来事があって、その中から興味を持てたものに直進して、更にそこから連鎖的に興味の対象を増やし、掘り進んでいくのが彼女のやり方である(ある種、「雛菜はね、雛菜がしあわせ~って思えることだけでいいの」と近いように聞こえる理屈ではあるが、周囲に現れた選択肢をクレバーに選り分けていく雛菜と、常に行き先を探して進み続けるドリル型のあさひは結構別な思想を持っていると考える)。そして、『大人たち』に含まれる我々は、そんなドリルですら貫けない硬い壁にぶつかったときの彼女の悲しみを知っているからこそ、その後にそれでも進むことをやめない彼女がいることを知っていても、誰かが言わざるを得ないのだ。「後悔しない選択をして欲しい」と。

……まあ、大きなイベントを控えたアイドルが謎の出前娘をしているのは普通にスキャンダラスなことになるのではと思わなくもなかったが、プロデューサーと担当アイドルが(実質)デートしているような世界なので、気にしないでいいだろう。

# 応答

G.R.A.D.編『予選前コミュ』(あさひ)より

当然、あさひからの返答は芳しくない。彼女からすれば、我々が芹沢あさひのことを既存の慣習に従わない跳ねっ返りだと思っているのと同じように、我々のことをそんな権利もないのに他人の領域にずけずけと入ってくる失礼な大人だと思っているだろう。彼女にとって、自らの持つその強い好奇心はきっと彼女だけのもので、それそのものには何者も触れることは許されないのだと思う。

G.R.A.D.編『……』(あさひ)より
【(ノージャンル)グラヴィティ】第一話『屑屑』より
【今日の手は空を切らない】第一話『三人』より
 もともと、芹沢あさひは他者の考えに同調しようとするそぶりを見せない。もしかすると不可能だと思っているのかも知れない。「あなたならこうするかもしれない」という言葉を「自分がそうしたいと思っている」と読み、「あなたのためを思ってやらないほうが良い」と諭されれば「自分がやってほしくないと思っている」と解釈する子である。更には話を合わせにきた曖昧な発言をド素直に受け取り、直球で返答する。気になれば満足するまでどんな物事でも深堀りする性格だからこそ、どんな些細なことでも気になるからこそ、他者の中にあるおぼろげな像を認めないのかもしれない。

それは彼女自身が持つ彼女の考えを大事にしているだけ、他者のそれを大事にしているように見える。ただ、そこに相互の理解はなく、ただお互いの意思があるだけである。それが生まれ持っての性質なのか、これまで歩んできた中での出来事がそうさせるのか、今の僕たちが知る術はない。先述した、お礼や謝罪を述べる場面もあくまで「自分のルールでそうするべきだと思ったから」であり、他者、もしくは集団の文化に合わせて行ったわけではない。

だからこそ、凄い蕎麦を打つ師匠、キラキラした世界を作り上げるアイドル社会を作り上げる大人たち、パフォーマンスを練り上げてくれるトレーナーのような人たちは全員一目置かれる存在で、わざわざ改まった感謝の言葉がなくとも、きっと己の誇りを持っている、今更他者から存在を承認される必要など無い。そんな気持ちがあったのかもしれない。

# 理解

# 隔絶

G.R.A.D.編『…………』(あさひ)より

芹沢あさひの「すごい」が決して技術的な話だけではないということは『きよしこの夜、プレゼン・フォー・ユー!』および報酬カード【プレゼン・バトン!】などからも読み取れるが、その上で彼女の価値観のひとつにこの言葉がある。他者との意識的な融和をあまり重要視しない彼女にとって、誰かの存在を示すのはそれぞれが磨いた個性であり、交流はそれらが集まり、評価されることによって発生するものである。自分の個を送り出す力も受け取る力も長けている彼女にとって、その世界はきっと息苦しくない、自由な世界だろう。

ところが、僕たちは知っている。自分の内側を重視しつつも、それが他人に評価されないことに悩む彼女を。そんな自分を時に目標として、時に対等な相手として扱ってくれるストレイライトのメンバーに笑みをこぼす彼女を。

芹沢あさひの持つ独自の世界観は彼女の強い感性をより磨き上げ、輝きを増し続けるであろう。一方で、彼女の強い好奇心が他者への興味としても表れる以上、その独自の世界へ彼女を置き続ける限り満たされることは無いだろう。本人がこのジレンマに対し、自覚的に、責任を持った解答を導き出せるまで、我々には彼女を守り続ける義務がある。

「今の」彼女にとって最も幸せなのは、ストレイライトのような彼女を一定以上理解を示してくれる人たちがたくさん集まって、広がった世界で互いに磨きあうことかもしれない。それでも、芹沢あさひの膨大な探究心はいつか「外の世界」を望むだろう。その時に己の価値観を捨てないまでも一旦横に置き、「興味を持った誰か」の持つ価値観を理解し、それを新しい体験として受け入れることが出来るか。あるいは、そうしたいと思った時にそれを実行できる考えを持てているか。それが、きっと彼女を守るということに繋がるのだろう。

# 折衷

あさひは自分主体で物事を考えるし、他人もそうだと思っている。きっとそういった面はある。

この状態に対し、取り返しのつかない行き違いを起こすことは非常に容易(あるいは、本人の中では既に起こっているのかも知れないが……)である。一歩間違えれば芸能界にいられないような事件だって起きただろう。それでも、このG.R.A.D.で起きたのは蕎麦の配達を巡る小さな小さな事件であり、芹沢あさひは無事にG.R.A.D.で優勝し、今日も元気に街中を飛び回っている。そして、その中で互いの意思を理解し合える可能性を見た。

芹沢あさひが、己の世界ではない、別の世界から景色を見られる場所はまだ残っている。完全に移り住まなくても良い。少しだけ別の世界を見たいと思ったその時に、自分の考えを他人が理解できることもある、勿論その逆もある。そのような発想を一欠片でも持たせられたなら。きっと彼女はどこまでも飛び立ってくれるだろう。

# おわり

敗退コミュは怖いので読んでません


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