# 黛冬優子をベジータにするのはまだ早い

# ベジータという生き方

漫画『ドラゴンボール』の登場人物のひとりに『ベジータ』がいる。よくインターネットでMハゲなどと言われているアイツだ。本来ならばここで適当な画像を引用しながら、ドラゴンボールとは概ねこんな漫画で~ベジータはこんなやつで~というふうな話をするべきなのだろうが、題材が題材なのでもはや必要無いだろう。万が一必要ならば適当にこれらのワードでGoogle先生に教えを請えばいくらでも情報が出てくる。すごいね大人気作品。

というわけで、わざわざこんな場末のブロゴにやってきてくれるような人たちは全員ドラゴンボールの既読者であるという前提のもとで話を続けよう。ベジータの初登場はいわゆるサイヤ人編、作品の路線がバトルものに定まって以降の登場である。前座として主人公悟空の兄であるラディッツとのバトルを描き、多数の死傷者を出してようやく退けたラディッツより何倍も強いやつがいる、ということでその段階での威厳は十分であった。その後も人気の高いシーンであるピッコロによる悟飯の修行、インターネットをしていれば嫌でも目につく「はやくきてくれーーっ!!!」、回復体位のポーズで爆死するヤムチャなどの展開を経て、ついに悟空とベジータのバトルが始まる。

章ボスにふさわしく、ベジータ戦は展開が二転三転しながら、互いが死力を尽くして戦うさまが濃厚に描かれていた。最後の最後まで決して勝者が読めない(そら最後の最後には主人公が勝つやろ、という話は置いておこう)まま、思わぬ伏兵の活躍もあり、ギリギリのところで悟空がベジータを下し決着がつく。そして、ちょくちょくインターネットでネタにされる「オラ強いやつと戦いてえんだ」的な純粋ファイター悟空の意思により、ベジータは後悔するぞみたいな捨て台詞を吐きながら脱出ポットで退場。壮絶な戦いの果てに、サイヤ人編の幕は降りた。

非常にすっきりした終わり方であったが、ドラゴンボールのストーリーはまだまだ続く。ベジータがボスであったのはここまでである。このあとはまずナメック星編で再登場。主人公勢と章ボスであるフリーザ勢とも協力しない第三勢力として現れ、物語を引っ掻き回していく。偶然にも一連の行動が主人公勢にばかり利になるということもなく、登場人物としての存在感は非常に高いが、フリーザ勢の幹部格と比べると戦闘力で劣っている等、既にこのあと彼がたどる道を読者は薄々理解していくことになる。ナメック星編終盤になると敵の敵は味方理論で悟空たち主人公勢力に加勢。フリーザ相手に多少は善戦するが、終わってみれば悟空に超サイヤ人のヒントを与えたぐらいで戦績としてはきれいな黒星であった。

悟空がフリーザを下し、人造人間編およびセル編が始まるといつの間にか主人公勢力に馴染んでいる。口では悪態をつきながらも、なんだかんだ悟空に次ぐ主人公勢力の中核として活躍し始める。その中で、未来から来た息子トランクスとの関わりを通じて人情を身に着けていったり、ギャグシーンに組み込まれるなどキャラクターとしての株を大幅に上げていくが、その一方で舐めプして好機を逃したり、肝心の戦績は(強敵とのマッチングが多いためではあるが)ふるわないなど、悟空悟飯の親子に比べると泥臭い役回りが増えていく。最終盤、魔人ブウ編に入るとこの傾向は更に強くなっていく。すっかり異星の文化に馴染んだベジータは妻と子を得て、ひとりの父親として描かれていくことになる。

そんなベジータ最大の見せ場がブゥ編中盤にやってくる。すっかり当たり前のように悟空と肩を並べて戦っていたベジータだが、ふとしたきっかけでずっと燻ぶらせてきた思いを爆発させることになる。あえて敵の洗脳(?)呪文を受け、これまで培ってきた良心やぬくもりを切り捨て、純粋にただ戦士として、悟空に勝ちたいと勝負を挑む。今までさんざん好き放題やってた悟空に「今そんな事やってる場合じゃねえぞ!」みたいな正論を言われていた記憶がある(実際どうだったかは定かでない)が、とにかく作中での悟空VSベジータの最終ラウンドが始まる。……が、結局どちらが優勢かもわからないままに、敵方の策略が成功して魔人ブゥが復活。ベジータはその責任をとって悟空との戦闘を中断、妻と子を守るために自爆覚悟でタイマンバトルに挑む(結果的には無駄死に)。

そのあと色々あってベジータは復活。魔人ブゥ、悟空、ベジータ、その他1名でブゥ編ラストバトルが始まる。その戦闘の中でベジータは悟空の強さ、自身とのレベル差、積み上げてきたものの違いを痛感しついに「お前がナンバー1だ」と認めることになる。

ベジータについて語られるとき、これらの一連の変化について着目されることが多い。敵対関係にあった相手が、徐々に絆されていって少しずつ優しい顔を見せてくれるようになり、ついに互いを認めあう。それは非常に美しい、積み重ねが為せるキャラクター同士の関係の美しさだ。こうしてベジータはナンバー2というポジションを手に入れ、ついに最後の最後で真の仲間(インターネットで使われるような悪意ある文脈は込めていない)として迎え入れられ、程なくして物語が終わる。

そしてベジータが手に入れたものはもう一つある、「かませ」の称号である。どんな逆境も跳ね返し、最終的に勝利をおさめる悟空に対して、相手の戦闘力を冷静に分析しながらも善戦し、しかも一歩及ばず敗北する。しかしその敗北は何かを残す。受け手が誰かに感情移入をするためにも、展開を盛り上げるためにも、こうした存在は不可欠である。その役割にこそ、尊大でちょっと臆病、プライドが高くてその実意外と優しさも併せ持つベジータこそが相応しかったのだ。

# 冬優子誕生日おめでとう

黛冬優子は、その臆病さとプライドの高さを「ふゆ」で覆い隠し、その裏で努力を積み重ね、ふゆが見せないそっけなさの裏に冬優子の優しさが見える、そんな子である。そして今はストレイライトの一員として、天才的センスを光らせる芹沢あさひ、根気と柔軟さを併せ持つ和泉愛依と競い合い高めあい、アイドルロードを走っている。時に反目し、突き放し、にらみ合いながらもその実切っても切れない関係になりつつあることを認めているのは、他ならぬ黛冬優子本人である。

そうして競い合うなかで底しれぬポテンシャルを発揮するあさひ、ギャップの意外性と粘り強さで戦う愛依に対抗する冬優子の武器は、テクニック。ストレートなあさひ達に対応すべく変化球を身に着け、また共に戦う際には、素直すぎる2人を補う冷静な視点を持って。競い合う裏でお互いを補い合うこの三人の関係は、最強のユニットとして名乗りを上げるに十分な完成度を持っている。

などと、冗談じゃない。

彼女らの持つそれぞれの特性は、それを武器にそれぞれがトップアイドルになるためのものだ。3人をひとつの総体として纏めてしまうためのものではない。彼女たちは確かにきっと噛み合うとの考えのもと集められたが、その本人たちが自らを競い合う関係でありたいと定義したときから、個々人の意思を見ずに総体としての意思を優先させることは考えられない。

彼女たちが目指す頂はまだ見えない。何をすればたどり着けるのかも、どうなれば認められるのかも、何人で入ることができるのかも何も見えていない。だから、今の彼女たちがどうであろうと、それは決着をつける判断材料になりえない。ベジータは確かにあの場でナンバー2であったが、それはあの瞬間でドラゴンボールの物語が終了したからである。彼女たちはまだ何も終わっていない。黛冬優子は確かに尊大なところも、臆病なところもあり何よりプライドがある。そして優しさだって持っている。それは確かな事実であり、彼女は「冬優子」と「ふゆ」であることでこれらを巧みに見え隠れさせ、迷光の奥へ僕らをいざなってゆく。この光を突き進んでいく意思こそが彼女の何よりの強みであるならば、彼女に本当にふさわしいポジションを今決めてしまうのは時期尚早であろう。ストレイライトの誰がナンバー1になるを決めるのは我々ではなく、彼女たちなのだから。

「ふ……ふゆは…… ふゆは…… 昔のふゆに戻りたかったのよ!」

「残忍で冷酷なアイドルのふゆにもどって なにも気にせず あんたと徹底的に戦いたかった!」

「気に入らなかった……知らないうちに あんたたちの影響をうけて お……おだやかになっていく自分が……」

「……おかげで いまはいい気分よ……」

……いやまあ、適当に例の台詞を入れても似合ってしまうぐらいの普段から溢れ出すエネルギッシュさがそうさせるのは分かるんだけど……

# おわり

黛冬優子ちゃん誕生日おめでとう!


tweet