# 芹沢あさひの「もしも」

この記事は2022年6月30日よりアイドルマスターシャイニーカラーズで開催されたシナリオイベント『if(!Straylight)』のネタバレを含みます

# とりとめのないまえがき

さて、本題に入る前にまずはこのイベントのタイトルの話をしよう。

if(!Straylight)イベント画面より
ホーム画面のバナーではなくイベント画面の切り抜きを使ったのは10割趣味である。if(!Straylight)、実に簡潔で、なんとなくどういう話なのかが分かって、しかもストレイライトのイメージに合致した最高にクールなタイトルだと思う。イベント中でも、「もしストレイライトじゃなかったら」という文言が頻出し、またプロデューサーとの会話の締めにもなっているため、そういった意味合いは確実に含まれているだろう。

が、それはそれとして。if文に論理否定を使って「もし〇〇では無かったら」という意味合いを確実に通すためには、変数「Straylight」が真あるいは偽の二値で表現できるものであると定義されている必要がある。そうでない変数に対してこのif(!)という判定を用いた場合、環境によって「Straylightが0なら(この「0」は1か0の二値ではなく、任意の範囲を取る数字としての0)」「変数Straylightが存在しないなら」といった意味に化けてしまう場合があるからである。その他、一般にプログラミングにおける変数はローワーキャメルケース(頭文字は小文字で書き、ふたつ以上の単語が組み合わさっている場合2単語目以降の頭文字を大文字で表記する)で定義される事が多く、この「Straylight」の表記はその法則から外れている。また、ストレイライトの初イベント『Straylight.run()』にある通り、「Straylight」は任意に実行できる関数を持つ構造体(単純な変数とはまた別の概念)であることが示されている。それらも含めると、この「Straylight」がただ1か0で判断されるだけのものかどうかには一考の余地があるかもしれない。

具体的にどういうことかと言うと、「Straylightでは無かった場合」ではなく、「Straylightでは無いもの」という意味合いを含んでいるのではないか、ということを勝手に思ったりしている。それは今年に入ってシャニマスがずっと描いてきた「アイドルではないもの=モブ」の話にも共通する、彼女たち3人以外の生き様に焦点を当てた、あるいは彼女たちが劇中で演じた「デフォルトネーム」を指しているのではないか。転じて、デフォルトネームは「ストレイライトの否定(反対)」ではなく、「ストレイライトとは別の何か」である、というのが、この主張の最終的な本旨である。

if(!Straylight) 遊び方より
……というより、つまりこういう話なのだと思うけれど。

# 今回の黛冬優子

イベント報酬サポートは彼女なので、今回の主人公。ストレイライトの5回あるイベントコミュのうち3回で報酬サポートカードに選ばれている。残りの2回は愛依。バランス悪いな?

今回の彼女は主役として「選ばれたもののため、選ばれなかったもののために」力を尽くすことと、それを成し遂げること自体が限定pSSR【multi-angle】の補強になっている側面がある。

【multi-angle】TRUE『知らなくていいこと』より
このアイドルコミュの中で冬優子は「ふゆ」に憧れる少女に向かって上記のようなメッセージを送っている。そして、彼女は実際に「ふゆ」に憧れて業界に飛び込んできた新人女優と対峙することになる。……もはやサザエさん時空について突っ込むのも野暮だが、今何年?

そして、冬優子は自分の言葉通りに「憧れられるふゆ」を演じきるために戦いを強いられる。といってももう慣れたものなので、それは物語の主役になり得ない。「普段表に見せていない方の側面と似た役を演じる」という難しい注文ですら、今更な話でしか無い。今回の話で冬優子に求められたのは、「自分の振る舞いを期待する人たちにどういう姿を見せるか」という一点のみであり、そして彼女は一言も「もし」などという泣き言は言わなかった。彼女は彼女が自分で決めたとおりに、彼女を慕う新人女優の視線も、点在する不躾なファンの邪推も、全てを守るために身を削り、それを完遂した。

降板することになった新人女優という存在は、【ギンコ・ビローバ】を皮切りに(それ以前も無かったわけでは無いはずだが、わかりやすいターニングポイントだと思うのでここではこれを例示する)シャニマス世界に現れ始めた、メタ的に最終的な成功が約束されている283プロのアイドルとは違う「モブ」である。彼女たちはそれぞれの意志に沿って彼ら彼女らにそれぞれの施しを見せてきたが、冬優子の選択はその中でも簡潔で明瞭であった。「もしも」に憧れて一歩を踏み出して、その結果を「もし」と後悔する彼女に向かって、冬優子はそれを否定するための言葉と、その言葉が真実足り得るための姿だけを見せる。冬優子にとって、それこそが「もし」を乗り越えるための、ずっと変わらない思いなのだと思う。

彼女は、どこまでも誠実なのであった。(【multi-angle】からの引用)

# 今回の和泉愛依

『The Straylight』以来、『あたし』を消さない決心をした愛依は、幾度となくその選択の覚悟と責任を問われることになる。それはLPで「ファンのために」という大まかな目的を手に入れて、同日実装された限定pSSR【あたし流・かっこいい】で「ストレイライトのふたりに負けない」という意志が補強されていく。

かっこかわいい
そして今回、彼女は「もし『あたし』をやめて『うち』が出てきていたら」という問題と直面する。冬優子と愛依は似たような秘密を抱えてお互いに助け合いながらステージに立っているが、愛依のそれは冬優子のものとはまた違う。彼女の『あたし』は本来の彼女の人生において一切必要のなかった、虚像として舞台に立つために生み出されたものである。だからこその悩みでもあるし、彼女が『あたし』を続ける=アイドルをすることは、彼女の周囲との軋轢となって新たな苦悩を生み出していく。

そんな悩みを、冬優子たちを見てポジティブさに変えていけることこそが、素晴らしいのだろう。冒頭の約束をきっちり果たすところが、なんとなく今まで見られなかったようなしたたかさがプラスされている感覚があって、少し面白い。

# 今回の芹沢あさひ

蕎麦屋の師匠再登場、あさひの声が反響して帰ってくること、限定pSSR【Housekeeping!】に見られたポテト要素など、過去にあさひが触れてきたものが積み重ねられた、気持ちのいい描写が続いた。

WorldEnd:BreakDown 第2話『Break』より
if(!Straylight) オープニング『ORDINARY』より

その一方でやはり印象的だったのは、2年以上ぶりに登場した「同級生との軋轢」である。前者の場面について、あさひは「迷惑をかけた」ことになっている、と認識はしているらしく、そうした自分の嗜好がなかなか理解されないことについては思うところがあるらしい、というのはこれまでにいくつか見られた。そして今回新たに「今は多少改善されているとしても、疎まれている」という要素も加わった。あさひが抱える自身の衝動については、G.R.A.D. などの個人シナリオ、ストレイライトのイベントでも幾度となく周囲と会話を重ね、少しずつコントローラブルなものへとなっていったはずが、あさひが気付けていない、あるいは言語化出来ていない奥底の部分には今まで見えていた部分よりも更に荒唐無稽で非人間的、そして美しい感性が眠っていることが限定pSSR【Howling】で示されている。つまり、あさひが仮に周囲と融和することを望んでもそれが「社会一般的なかたちで自然に」実現されるかはまだまだわからないし、実際に今現在はクラスメイトからの消極的阻害というかたちで現れてしまっている。あさひ自身は連絡が来なかったことを深く気に病んでいるわけではなさそうなので、その周囲からの視線は明確な悪意となってあさひに降り掛かっているわけではなさそう(あさひはそういった悪意が表に出れば感じ取ることが出来る)だが、その「宿題が無かったら無いでいいや」という態度こそがあの年代の集団においては浮く。しかし、彼女をいわゆる一般常識の枠に収めようとする行為そのものの無為さもまたこれまでに多く見られてきたので、別の方向からのアプローチが実を結ぶことを祈るのみである。

そんなあさひを繋ぎ止めているのが、「仕事には求められているものがある」という言葉と、それを叶えんとするあさひの好奇心であった。あさひの目指す「キラキラ」がその「仕事」の先にある限り、あさひがストレイライトのコントロールを越えて離れることはおそらく無い。しかし、「お客さんはデフォルトネームを見に来てる」と言い放ったその姿に、あさひがあさひ自身を顧みていると感じることは出来ない。彼女の抱えた大きな衝動と、それを縛る彼女の身体、そしてそれが属する社会が、この先どう調和していくのか、可能なのかはずっと気になっている。

# デフォルトネーム

ようやく本題に入る。「デフォルトネーム」は作中作<IF>に登場するバーチャル世界を舞台に活動するアイドルユニットで、「実世界とはそれぞれ異なる性格をした三人の集まり」という点がストレイライトと共通している。

【<IF>】黛冬優子より
画像左から芹沢あさひが演じたシロ、黛冬優子が演じたモモ、和泉愛依が演じたアオ。イラストが発表された当初は「ストレイライトがアイマス伝統の信号機カラーになってる!」「IF世界だと冬優子がセンターなんだ!」等、様々な反響を呼び、実際にどんな形で披露されるのかが話題になっていたが、まあそういう話ではなかった。

  • 本人曰く引っ込み思案で愛想のない、IFのセカイでだけ自分を表現できるモモ
  • 実世界では無口でクール、IFのセカイではギャルなアオ
  • 実世界に存在しない、IFのセカイにだけ存在するAIのシロ

わざわざ整理しなくてもわかるが、モモ、アオ、シロの三人は冬優子、愛依、あさひのステージとそれ以外で見せている性格を入れ替えた、というわけでもない。IFのセカイでのモモの振る舞いは決して「冬優子」というわけではなく、「ふゆ」に近い。というか口調が乱暴な以外はほぼほぼ「ふゆ」だし、実世界のアオはクールというより無口で、ミステリアスを標榜する愛依とは似て非なるものであり、IFのセカイのアオは発言を見る限り、「頭は切れるが無口でとっつきにくい性格の子が親しみやすくなるために砕けた口調を用いている」ものである、と想像できる。この点は作中でも愛依が「アオの演技」の表現に難儀していたことから少なくとも普段の愛依では無い。(「あたし」が普段の和泉愛依を出すことに無理がある、という要素のほうが強い可能性はあるが)AIであるシロの肉体として、あさひはある意味で肉体があるのにとっつきづらい存在としてきちんとシロと対比されていると言って良いかもしれないが、どちらにせよあさひ本人の要素はシロにはほぼ存在しない。

つまり、デフォルトネームは決してストレイライトの否定(反対)、つまり論理的演算としての「!Straylight」ではない。「Straylight」が「デフォルトネーム」を演じることはストレイライト側が持つ隠された一面を引き出すことになるかもしれないが、デフォルトネームはStraylightの「もう一面」ではない。もしかしたら3人がストレイライトになる過程で置き去りにしたかもしれない「IFのセカイでだけ見せられる自分」が、<IF>の力を借りて寄り集まった時、最終的には同じ舞台に立ったのかもしれない、という証左にこそなれど、遥か昔に分化したその何かはまさに(論理的否定ではなく、全く別の存在としての)「!Straylight」なのだと思う。

『The Straylight』にて、ストレイライトは3Dモデルで作られた「完璧なストレイライト」を否定した。同イベントで触れられた愛依の「あたし」の扱いも含めて、彼女たちは彼女たち自身の手で未来を掴むべく日々選択を行い、その道を進んでいく。そこに「もしも」の後悔はない。しかし、<IF>は「あなたのモシモを叶える」場所だ。架空のお話に存在する架空の世界で、架空のAIが「この<IF>セカイこそが本当だ」と謳い、冬優子と愛依が置いてきた何かのようなものと一緒に「デフォルトネーム」を作り上げていく。それこそが「何かを選び、力を尽くしていく」ということであり、わかりやすい正解なんてどこにもない、進み続ける彼女たちにふさわしい無限の可能性の存在を証明するのだと思う。

それでも、一点だけ気になることがある。冬優子が「冬優子(私)」のまま、愛依が「うち(ウチ)」のまま集まって出来たのがデフォルトネームだとするのなら、そこにいるシロ、つまりあさひは「デフォルトネーム」であるとき、アイドルである時だけ、ふたりと一緒にいられるということになる。シロにとってはそれでも間違いなく十分な救いであったはずだが、<IF>の力を借りて出会った彼女たち3人には理想の形だったかもしれないそれも、芹沢あさひの場合はそうもいかない。彼女にはストレイライトという世界だけでなく自分自身の人生を生きる必要がある。彼女が生きていくのに黛冬優子と和泉愛依の力が必要なのかどうかはまた別の議論が必要だが、少なくとも絶対にいらないとは断言できない。それは本イベント最終話「HANABI」(急にミスチルみたいなタイトルになって読んだ当時はちょっと笑ってしまった)からも明らかである。<IF>はたしかにモモのような人たちをはじめ、様々な人の心を救う。それは劇中のインタビューでも触れられている。その一方で、望む望まないに関わらず、あさひの生きる世界はいつか必ずあさひやストレイライトに選択を迫る。願わくばその時に彼女たちが選んだ結果に胸を張れるよう、笑える彼女たちであって欲しいと思う。

# おわり

いや限定多すぎるだろ今回例示したカード全部限定だよバカ

今回のイベントで触れた<IF>のストーリーは多分アニメ1期24話分なので、2期では新開発のAI「アカ」が「人間を越えた」感情表現でデフォルトネームへ勝負を挑んでくるので、それを3人はどう乗り越えるのかみたいな話になると思います。


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